幼児・児童用の子育てテクニックについて思うところ

  • 2019年12月27日
  • 2020年9月7日
  • 家族

幼児・児童用の子育てテクニックについて。

泣き叫ぶのを止めるとか、危険なことを止める、といった即物的なテクニックであれば有用だとは思うけども、「児童心理学的には、この状態では表には表れていないけど心の中では●●という状態になっているから、△△というアプローチをすると効果的」みたいなものがよくあります。

それはそれで「なるほどなー」「これはすごい!」と思うし、専門家によるしっかりとした分析のもとに成立したテクニックなのだろう、ということは理解できます。そのテクニックを駆使することで、実際に子供が言うことを聞いてくれる/我慢が出来る/自ら●●をする、というようなメリットはあるんでしょう。

でも、こういった大抵のテクニックに対して、心のどこかで思ってしまうのが、
「その子が言葉を理解したあとなら、通常のコミュニケーションで足りるんじゃない?」という疑問。
一生で何人も子育てするわけではないし、言葉が通じない状態の幼児にたいして、わざわざその期間専用のテクニックを駆使してまで実現したい現象というのははたして何だろうか、と。

心身が十分に発達して、言葉を理解できるようになれば、
例えば「一人でお着替えする」という行為も、子供の発達状態から考えて高度すぎるものでなければ、数回で覚えられる。もしくはあとは口で説明すればわかる状態になるのではと思います。
(そもそも何をどのようにすればいいかの「知識」がないというならば、最初は言葉で説明しながら手取り足取り)

一人でお着替えする、という動作を覚えさせるのは、2歳児と4歳児、どちらが簡単でしょうか。

受入側=子供の心と体の準備が出来ているかわからない状態にもかかわらず、“教育・しつけ”の名のもとにお互いに無理して動作を押し付けるのは不毛ではないでしょうか。

その動作に対して、我が子がまだ準備が出来ていないなら、ちゃちゃっとやってあげればいい。
その中で、できそうなことがあれば少しやらせてみて、無理せず簡単にできるところまで任せてもいいかもしれません。(お着替えの例で言えば、ひとりでTシャツに頭を通すことはできないから親が手伝うけれど、袖に腕を通すのは簡単だから子供からすすんでやる、というようなイメージ)
心身が成長し準備が出来たら、数回教えて(覚えが悪かったらまだ土壌が育っていないのかもしれませんよ)、やれるようになればお互い楽ちんではないでしょうか。

決して、しつけや教育を軽視するわけでも、勝手に覚えるから何もしなくていいと思っているわけでもないことは理解いただけると思います。
実際、子供の心身の準備を待たずに、無理して覚えさせなければ危険なこと(道路に飛び出ないとか、小さなものを口に入れないなど)や他人に迷惑がかかること(お友達を叩かない)は、あります。それに関しては、親も子もお互いしんどいけども覚え込ませなければいけないことだと思います。

それ以外は、いずれ簡単にできるようになるのだから、もっと鷹揚に構えてもいいんじゃないかと思っている、という話でした。