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緊急帝王切開となったため、夫は1週間の休みを取り、帰省してくれました。

 

NICUの面会は1日2回。

1回目は13時頃、2回目は19時頃に行くのが日課となりました。

 

母乳も少しずつ出る量が増え、

キツかったけど3時間毎に搾乳し、NICUまで届けていました。

 

1番辛かったのは、母子同室の人が隣の部屋にいて、部屋の前に授乳室があったこと。

他の人は母乳をあげてこどもの体重を測定したり、
他のお母さんたちと我が子について談笑していました。

私は他の人と話す気にはなれませんでした。

 

うちの子ダウン症かも

なんて言えない。

 

心はボロボロだけど

産後の身体は順調に回復していると思っていました。

ですが、硬膜外麻酔を抜いてから下腹部の痛みが強く寝返りも起き上がりも、かなりの痛みを伴い産後5日経ってもボルタレンを飲んでいました。
同じ帝王切開をした他の人はスタスタ歩けるのに自分だけ歩けない。
こんなに痛みに弱かったのか…と情けなくなりましたが、
実際のところは創部下に血腫が出来ていたようで、その影響でかなりの痛みがあったようです。
(鎮痛剤を内服しながら、自然吸収・治癒を待つしかないと言われました)

 

なかなか思うように動けない身体

ダウン症かもしれないという消えない不安

 

心も身体もズタズタとは

この事だと痛感しました。

 

そんな状況でも、かかさず1日2回面会に行き、グルちゃんの姿をカメラにおさめていました。

眠っていると何だかさみしくなり、

起きて動いていると嬉しくなりました。

ダウン症の特徴を探して

一喜一憂しながら。

 

そんな中、腫れていた目が

少しずつあきそうになっていました。

 

医師からは

「母乳を注入しても胸水は増えていません。乳び胸ではないようです。少しずつ利尿剤を使ってみましょう。」

 

と聞いていたので、

利尿剤で水がひけて浮腫が取れてきたんだな。と思いました。

 

実際、利尿剤をつかってから

体重は400g減りました。医師からもその分だけ浮腫んでいたということです。

と言われました(2800gで生まれて、治療後は2400g)。

 

早く目があかないかな。と思いみていると
パッと目があきました。

あ、くっきり二重だ!

目が開くとなんだか顔つきが一気にダウン症っぽい感じがしました。

 

 

夫に話しても

「違うでしょ。俺たちだって二重じゃん。」

というだけ。

しかも
「○○さんのところも生まれたんだって、ほら!」


SNSに投稿された1日違いで生まれた知り合いの子どもの写真を私に見せようとしました。

その時

ずっと夫の前で我慢していた涙が溢れ出し、号泣しました。

無神経な夫に苛立ち、嫌気がしました。

私だって普通に産んで

友達に報告して、SNSにアップしたかった。
だけど、出来ない。ダウン症かもしれない。
それに、いつ退院できるかも分からない。
元気に産んであげられなかった私が悪いんだ。

そう思うと涙が止まりませんでした。

 

一週間経ち、夫は帰っていきました。

 

翌日からは1人での面会となりました。

正直不安でした。

1人で会いに行けるのか。

自分が退院したらちゃんと病院に行けるのか。

 

でもその不安は直ぐに消えました。

 

グルちゃんに会いに行ったとき、

独り占め出来る事を嬉しく思っていました。

目の前の息子の変化を自分だけが見れる。

息子の初めては、自分が見れる。

 

思えば

この日からグルちゃんのことを

 

可愛い

 

と、言葉に出せるようになっていた気がします。

 

1人になり、

この子を守れるのは自分だけ

という状況が受容につながり

私の気持ちを強くしたのかもしれません。